アグリコアの歩み
フランスのボルドーで学んだ良品質の醸造技術
アグリコア越後ワイナリーがあるのは新潟県南魚沼市。冬季には3メートル以上もの雪が積もる豪雪地帯だ。そんな地域になぜワイナリーが誕生したのか。始まりは創業者であり代表を務める種村芳正の「地域活性化」という志から。
1970年代、南魚沼は米どころとして栄えていたが、米の減反政策により地域産業に陰りが見え始めた。種村は、どうにか地域を活気づけたいと模索する中、北海道池田町が町全体でワイン醸造を行っていることを知る。同じ豪雪地帯であり、豊かな自然環境に恵まれている新潟なら良いワインが造れるのではないかと考え挑戦を決意する。
1973年、葡萄の栽培技術と醸造を学ぶためにフランスのボルドーへと渡った。古くからワインの生産で栄えていたボルドーでは、小規模経営ながら「品質こそ全て」の信念を貫く醸造家が多く、種村は技術を学びながら、大量生産が出来なくとも、良品質を貫けばワイナリーの経営が出来ると確信する。帰国後、アグリコア越後ワイナリーの前身である「越後ワイン」を1975年に創業し、葡萄栽培を始める。
元々一帯が田んぼだった土地で、葡萄栽培に合った土壌を作り上げるのには苦労したという。それでも種村は数名の仲間と1万平方メートル以上の土地を手作業で開墾し、見事に葡萄の栽培を成功させる。種村の思い描いた通り、自然豊かな南魚沼ではとても良質な葡萄が育ち、本格的にワインの醸造が始まったのだった。
観光客から広まった人気のワイン
順調にワイン造りを始めた種村だったが、経営は順風満帆とはいかなかった。お酒といえば日本酒だった当時の新潟で、県内生まれのワインはなかなか浸透しなかったのだ。一時は廃業寸前にまで追い込まれたこともあったが、日本酒好きの新潟人向けにではなく、まずは県外向けに発信することを考える。
越後といえば、温泉地やウィンタースポーツを目当てに訪れる人が多い。その客をターゲットに土産物として売り出す戦略に出たのだ。ちょうどその頃日本にワインブームが到来したことも後押しし、ようやくワイナリーの経営が軌道に乗り始め、徐々に県内にもアグリコア越後ワイナリーのワインが知られるようになったのだった。
現在では自社畑を中心に約15万平方キロメートルにも及ぶ土地で良質な葡萄を育て、高品質なワインを醸している。
雪室貯蔵・雪室熟成。雪を活かしたワイン造り
越後ワイナリーのワイン造りの特長は、南魚沼の気候風土を最大限活かしているということにある。その一つが「雪室貯蔵」である。雪室から直接つながっている貯蔵庫にその冷気を送り、貯蔵庫に隣接するフレンチオークを使った木樽の並ぶ熟成庫にも冷気が伝わる。年間を通じて雪室貯蔵庫は約5℃、木樽熟成庫は約15℃に保たれ、ワインに過度なストレスを与えないためフレッシュ&フルーティーなワインに仕上がるのだ。
アグリコア越後ワイナリーでは雪氷室・貯蔵庫の見学ができる。レストランやショップも併設されており、美味しい料理とワインを楽しみながら、お土産も買うことができる。アグリコア越後ワイナリーは地域活性を目指し、南魚沼の魅力を発信し続ける観光スポットでもある。
会長紹介
会長
種村 芳正
1928年生まれ、新潟県南魚沼出身。地域活性化を目指しワイン造りに挑戦する。1973年、葡萄栽培技術を学ぶためフランスのボルドーへと渡る。ボルドーで「品質こそ全て」の信念を貫く醸造家達に出会い、良品質なワイン造りに影響を受ける。帰国後、創業の準備を進め、わずか5人で前身の「越後ワイン」を1975年10月に立ち上げる。観光地であるということもあり、良質なワインは土産物としても人気がある。従業員は種村のことを「とてもフットワークが軽く、エネルギーに満ち溢れている人」と話す。年を重ねた今でも醸造家と共に畑に出て作業を行う。誰よりもワインが好きで、毎日ワインを飲む事が元気で生活できる源のようだ。